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福岡地方裁判所 昭和57年(ワ)1600号 判決 1984年7月27日

原告

山道一信

ほか一名

被告

園田英二

ほか一名

主文

被告らは、各自、原告山道一信に対し、金六、一五七万二、四七八円及びこれに対する昭和五五年一〇月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員、原告山道靖子に対し、金二二〇万円及びこれに対する右同日以降完済に至るまで右同割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その三を被告らの負担、その余を原告らの負担とする。

この判決は、第一項のうち、原告山道一信関係の認容額中金一、〇〇〇万円及びこれに対する遅延損害金の部分並びに、原告山道靖子関係の認容部分に限り、仮に執行することができる。

但し、被告園田隆が原告山道一信に対し金三〇〇万円、原告山道靖子に対し金五〇万円の各担保を供するときは、当該原告の右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告ら訴訟代理人は、「被告らは、連帯して、原告山道一信(以下一信という。)に対し金一億〇、八九五万〇、八〇〇円、原告山道靖子(以下靖子という。)に対し金五五〇万円、及び右各金員に対する昭和五五年一〇月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、

被告ら訴訟代理人らは、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決、及び敗訴の場合の仮執行免脱宣言を求めた。

第二当事者の主張

一  請求原因(原告ら)

1  原告一信は、昭和五五年一〇月二〇日午後九時頃福岡市城南区片江一、一一七番地の一先路上で、自動二輪車を運転して梅光園方面から油山方面に向け進行中、前方の道路左側端に駐車していた被告園田英二(以下英二という。)運転の普通乗用自動車(熊五五み九二六八号)が、原告車の進路直前を横切る形で、右側の空地に向け右折発進したため、原告車前部が同車の右側後部に衝突する交通事故に遭遇し、路上に転倒して、第六頸椎脱臼骨折等後記重篤な傷害を負つた。

2(1)  被告園田隆(以下隆という。)は、被告英二の実父であり、左記のとおり、被告英二に前記本件加害車両を買い与え、自ら自賠責保険契約者になるなどしていたので、同車両の運行供用者として、自賠法三条に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償すべき責任がある。

(イ) 被告隆は、被告英二が大学受験のため浪人中、運転免許をとることに反対せず、昭和五〇年五月同被告が大学生の頃、同被告に本件事故車両を買い与えたものであり、ただ、その代金を一時訴外富田耕吉に立替払して貰つた関係で、車両の所有名義は同訴外人にしていたが、自賠責保険、任意保険ともに、被告隆が保有者として契約名義人となり、右保険料も一貫して同被告が支払つてきた。

(ロ) 被告隆は、経済的資力のない被告英二に、親として車両を買い与えた以上、事故についての責任を負わねばならない自覚を有しており、右保険料の支払や保険契約の更新にあたつてきたものであるが、偶々、任意保険の契約期間が切れ、その更新を怠つていた間に本件事故が発生した。

(ハ) 被告隆は、被告英二が被告隆夫婦と同居していた時期は勿論、同居しなくなつたのちも、折々、被告英二の運転する右事故車両の運行についての利便を得ていた。

(ニ) 右のとおり、被告隆は、被告英二に本件加害車両を買い与えていたものであつて、その運行に充分な管理、監督を行わねばならぬ立場にあり、且つ右運行による具体的な利便も得ていたので、少くとも被告英二と競合的にせよ、同車両の運行支配、運行利益を有していたものである。

(2)  被告英二は、前記本件事故現場で道路左側に駐車していた加害車両を発進させ、方向転換のため一旦道路右側の空地に向け右折進行するに際し、右折の合図をするのは勿論、前後左右の安全を確認してから発進すべき注意義務を怠り、右後方の安全確認不十分のまま時速約一〇キロメートルで右折進行した過失により折から右後方を進行してきた原告一信運転の自動二輪車の前部に加害車両の右後部を衝突させ、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償すべき責任がある。

3  原告一信は、本件事故により、第六頸椎脱臼骨折、第四、五頸椎々間板損傷、頸髄損傷、下半身完全麻痺、神経性膀胱直腸障害の傷害を負い、昭和五五年一〇月二〇日、二一日松永外科(福岡市城南区片江)、同月二一日、二二日高宮外科(同市同区槌井川)、同月二二日以降昭和五七年三月二七日まで(五二二日間)総合せき損センター整形外科(飯塚市伊岐須)に入院して治療をうけ、且つ後遺障害別等級第一級の後遺症に苦しんでいるところ本件事故による同原告及び同原告の妻である原告靖子の損害は次のとおりである。

(一) 原告一信の損害

(1) 治療費 一二三万五、六〇〇円

(2) 入院雑費 六二万八、八〇〇円

但し、一日の入院雑費を一、二〇〇円として、五二四日分

(3) 入院付添費 三三万六、三〇〇円

(4) 休業損害 八三五万二、五〇〇円

原告一信は、事故当時山道建設の屋号で土木業を営んでいたところ、昭和五五年一月一日以降同年一〇月二〇日まで二九四日間の申告所得四六八万六、三九四円の一日当り一万五、九四〇円の所得につき、同年一〇月二〇日以降昭和五七年三月二七日まで五二四日間の休業期間中の休業損害。(15,940×524=8,352,560)

(5) 後遺症による逸失利益 八、二〇五万八、四〇〇円

原告一信は、前記昭和五七年三月二七日の退院時に前記後遺症が固定し、労働能力喪失率一〇〇パーセントであり、右症状固定時四六歳、将来の労働可能年数二一年であるから、右期間を通じ前記一日当りの所得一万五、九四〇円、年収に換算して五八一万八、一〇〇円全額の得べかりし利益を失つたものであり、その総額につき新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除した現価である。(5,818,100×14,104〔21年のホフマン係数〕=82,058,482)

(6) 将来の付添料 一、〇八七万二、一〇〇円

原告一信は、下半身が完全に麻痺しているため、将来とも付添看護が不可欠であり、右付添料が一日四、〇〇〇円、年間一四六万円のところ、付添期間は、前記退院時の四六歳から平均余命まで三〇年であるので、その間の付添料総額につき、新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除した現価である。

(7) 慰藉料 二、〇〇〇万〇、〇〇〇円

(イ)傷害による入院慰藉料 四〇〇万〇、〇〇〇円

(ロ)後遺症慰藉料 一、六〇〇万〇、〇〇〇円

(8) 家と車の改造費 二二七万三、五〇〇円

原告一信は、下半身が完全に麻痺し、起立不能であり、日常生活の動作もすべて車椅子でなさねばならず、そのため住居の改造と車椅子用の車両の購入及び改造が不可欠であつた。そして、現実に、右住居の改造費として八八万二、〇〇〇円、手動用車両の購入費、改造費として一三九万一、五〇〇円、合計二二七万三、五〇〇円を要した。

(9) 排尿、排便に要する費用 八九万三、六〇〇円

原告一信は、前記のとおり膀胱、直腸障害を併発していて、健常人のような排尿、排便が不可能であり、現在、自己または妻の手による腹圧を加えての排便を行つているが、二次性障害の膀胱炎、褥瘡(床ずれ)防止のため消毒薬品等を必要とし、右消毒薬品等の購入費が月額一万円、年額一二万円を下らず、その平均余命まで三〇年間の総額につき、新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除した現価である。

(10) 弁護士費用 五〇〇万〇、〇〇〇円

(11) 損益相殺 二、二七〇万〇、〇〇〇円

原告一信は、自賠責保険から傷害関係一二〇万円、後遺症関係二、〇〇〇万円、合計二、一二〇万円の支払をうけ、被告英二から一五〇万円の支払をうけている。

(二) 原告靖子の損害

(1) 慰藉料 五〇〇万〇、〇〇〇円

原告靖子は、昭和三五年に原告一信と結婚して以来、同原告との間に二人の子供を儲け、夫の仕事も順調で、幸せな家庭生活を送つていたものであるが、本件事故による夫の後遺症により、言葉にいい表わせない程の苦しみをうけており、その苦痛は夫の死に比肩して劣らない。

(2) 弁護士費用 五〇万〇、〇〇〇円

4  よつて、原告らは被告らに対し、連帯して、原告一信が前項(一)、(1)ないし(9)の合計額から(11)を控除し、(10)を加算した一億〇、八九五万〇、八〇〇円、原告靖子が同(二)、(1)、(2)の合計額五五〇万円、及び右各金員に対する本件事故の翌日である昭和五五年一〇月二一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  答弁並びに主張(被告ら)

1  請求原因1のうち、原告ら主張の日時場所で主張の交通事故が発生したことは認めるが、事故の態様中、被告英二の過失の存在については争う。

2  (1)、同2(1)のうち、被告隆が被告英二に本件事故車両を買い与え、自賠責保険契約者になつていたことは認めるが、被告隆が同車両の運行供用者である、との主張は争う。

(イ) 被告隆は、被告英二の希望を容れ、昭和五〇年五月頃同被告に本件車両を買い与えたが、代金支払の都合で車両の所有名義人を訴外富田耕吉にし、同訴外人に代金を立替払して貰つたのち、昭和五三年までに毎年三五万円ずつ同訴外人に支払つて、完済した。

(ロ) 被告隆が被告英二に本件車両を買い与えた動機は、同被告の懇請があつたのと同被告が少しでも勉強に励むようになれば、ということにあつた。

(ハ) 被告隆と被告英二は、昭和五〇年一一月頃まで福岡市城南区堤団地に同居していたが、同月三〇日被告隆夫婦が肩書住所に転居し、その際、当時福岡大学の学生であつた被告英二だけが通学の便宜上旧住所に残り、以後独立した生活をするようになつた。

(ニ) そして、その後、本件車両の支配管理等一切が被告英二だけに属し、同被告が右車両を通学、アルバイトなどのために使用しており、ただ、依然としてその所有名義人が訴外富田耕吉、自賠責保険契約名義人が被告隆のままであつた。

(ホ) 被告英二は、昭和五五年三月福岡大学を卒業し、同年六月訴外株式会社電永社に就職し、就職後も引き続き、本件車両を通勤や勤務先の用向き等のため使用していた。

(ヘ) 右のとおり、被告隆は、本件車両を物的にも場所的にも管理、支配する立場になく、経済的利益を享受することもなかつたものであり、自賠責保険の契約名義人であつたことの一事をもつて、同被告を右運行供用者であると目するのは不当である。

(2) 同2(2)については、原告一信の側にも過失があるので、その点で被告英二の過失責任を争う。

3  同3のうち、冒頭の事実、及び(一)、(1)ないし(9)、(二)、(1)の各事実はいずれも不知、右(一)、(10)並びに(二)、(2)の各弁護士費用は相当額を争い、右(一)、(11)の損益相殺は認める。

なお、右(一)、(4)、(5)関係の原告一信の所得については、事故前三年間の平均所得、土木業という業種の性質からくる収入不安定性、転業の可能性などから、むしろいわゆる平均賃金等の客観的な資料によつて算出されるべきであり、同(6)の将来の付添料も、妻が家事労働を兼ねて看護できる場合は、主張金額の半額である一日二、〇〇〇円とみるべく、同(7)及び(二)、(1)の原告らの各慰藉料も、一般基準に照らし高額に過ぎる。

4  本件事故は、不可抗力で発生した事故に近い事案であり、被告英二に過失があつたとしても、被害者である原告一信の側にも前方不注視の過失があり、逆に同原告の過失割合の方が八割を下らない。

(1) 本件事故の場合のように、道路左端に駐車中の車両を発進させ、右折進行して道路を横断する際、自動車運転者として、予め右折の合図をし、右側方及び後方の安全を確認すべき注意義務があるのは勿論であるが、その右折の合図によつて避譲行為を開始し、十分衝突回避可能な距離にある後続車の動静まで確認しなければならない義務は存しない。

(2) ところで、被告英二は、右道路左端から右折発進する際、右折の合図をし、バツクミラーでの後方確認及び振り返りみることにより約二〇メートルないし三〇メートル後方の安全を確認しており、車窓から首を出して後方をみるような、万全且つ最善のものではなかつたにせよ、後続車に事故回避措置が可能な次前の策ともいえる後方確認は行つている。

(3) そして、本件事故は、被告英二が右折発進後、道路を横断の途中センターラインを通過する直前、同被告運転車の右側後部に原告一信運転の車両が衝突しているものであるところ、被告英二の発進時から衝突までが約八秒(右折合図、後方確認各一秒、発進までと発進後衝突まで各三秒)、その発進時の同原告車の位置が時速三〇キロメートルの場合約六六メートル後方、時速四〇キロメートルの場合約八八メートル後方であり、他方、車両の制動距離は、右三〇キロメートルの場合約一二・七メートル、四〇キロメートルの場合約二〇メートルであるから、原告一信が右六六メートルないし八八メートル後方から衝突地点の手前一二・七メートルないし二〇メートルまでの間に被告英二の車両に気付いていれば、事故回避が可能であつた。

(4) しかるに、原告一信は、被告英二の車両が道路左端に停車していたことも、発進時右折の合図をしたことも気付いておらず、被告英二の車両が右折横断を開始し、センターラインを通過しようとするときになつて、自己の進路直前に発見し、既に僅かの進路変更、制動等の避譲措置をとり得なかつたものであり、本件事故の原因は、原告一信の前方注視義務違反にあるというべきである。

(5) 右のとおり、本件事故については、衝突地点、原告一信運転車のブレーキ痕がないこと等客観的状況から、同原告の過失割合が少なくとも八割を下らない。

第三証拠〔略〕

理由

請求原因1の本件交通事故発生の事実は当事者間に争いがない。

そして、本件事故当時、被告英二の運転していた車両が、被告隆から被告英二に買い与えられていたものであり、その自賠責保険契約者が被告隆であつたことは、当事者間に争いがないが、被告英二は、本件事故に関する同被告の過失責任を争い、被告隆も、同被告が事故車両の運行供用者であつたことを争つている。

そこで、以下まず右被告らの責任について判断するに、成立に争いがない乙一、二号証、同四、五号証、同七号証ないし一〇号証、同一二号証、同一五、一六号証、原告一信及び被告英二各本人尋問の結果を総合すると、本件事故の態様を次のように認めることができる。

すなわち、本件事故現場は、福岡市城南区梅光園方面から油山方面に向け、現場付近で略々南北に通ずる直線の市道上、同区片江一、一一七番地の一先路上であること、

事故現場の道路は、車道の幅員が約九メートル、アスフアルト舗装で、中央線(追越しのための右側はみだし禁止)の東西両側に幅約三メートルの上下車道、その両外側に幅約一・五メートルの各路側帯、更にその両外側に一段高くなつた幅約三メートルの両側歩道が設置されていること、

本件事故当時、被告英二は、勤務先の同僚を同乗させて普通乗用自動車(熊五五み九、二六八)を運転し、前記梅光園方面から南進して午後九時頃事故現場に至り、車道左端(東側)、路側帯にかけて一時停車し、道路右側(西側)の歩道に面するコインランドリーに洗濯物を持ち込んでセツト後、洗濯が終るまでの三〇分程度の時間を利用して、同僚を勤務先の会社に送り届けるべく、右車両に戻り、直ちに、もときた梅光園方面に方向転換するため、一旦右コインランドリー南側の空地に乗り入れようとして、停車中の車道左端から右前方(南西)に向け発進し、右折横断を始めたこと、

一方、原告一信は、油山の上水場附近に所有していた資材置場の状況確認と、そこに飼つていた犬に餌をやるため、自動二輪車(福岡み一、六七八)を運転して、肩書住居を出発し、本件事故発生時、前記道路を梅光園方面から油山方面に向け南進しつつ、事故現場にさしかかつたこと、

被告英二は、前記発進の際、いつものように、運転席から首を後方に振る方法で、二、三〇メートル右後方を確認し、右折の合図をして、発進後、時速約一〇キロメートルの速度で右前方(南西)に右折横断を始め、中央線を斜めに通過していたとき、同乗者(後続車の前照燈の接近を確認)から危険を告げられたが、前後して、中央線あたりで自車の右側後部に原告一信運転の自動二輪車の前部を衝突させ、また、原告一信も、衝突地点手前(北側)の交差点で信号停止をしたのち、青信号で発進後、時速三、四〇キロメートルの速度で進行し、左側道路端に駐車車両があつたため、漸次中央線寄りに進行中、左側から転回するように自己の進路直前に出て来た被告英二の車両を発見し、ハンドル操作で避けようとしたが及ばず、同車の右側後部に衝突し、路上に転倒したこと、

以上の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠は存しないところ、右認定した事実によれば、被告英二は、本件事故当時、道路左端から発進して道路を右折横断するに際し、後方の交通の安全確認が不十分であつたため、右後方を直進していた原告一信運転の自動二輪車の進路を妨害する形となつたものであり、この点で本件事故の発生につき過失があるといわなければならず、民法七〇九条の不法行為に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償すべき責任がある。

また、前記各証拠、及び成立に争いがない乙六号証、同一一号証、同一三、一四号証、同一七、一八号証、被告隆本人尋問の結果、前記当事者間に争いがない事実、弁論の全趣旨を総合すると、本件事故当時被告英二が運転していた事故車両に関して、次のように認めることができる。

すなわち、被告英二は、昭和五五年一〇月二〇日の本件事故当時二六歳の男性で、訴外株式会社電永社に就職していたものであり、被告隆は、被告英二の実父であつて、訴外内外輸送株式会社に勤務していること、

被告英二は、高校卒業後一年浪人したのち、福岡大学に進学し、昭和五五年三月同大学を卒業して、同年六月二三日前記株式会社電永社に就職したばかりであり、事故当時月額一〇万円程度の給与収入を得ていたこと、

被告英二は、大学二年生の昭和五〇年一一月頃まで、福岡市西区堤団地二九棟一〇五号の公団住宅で両親の被告隆夫婦と同居していたが、同年一二月頃同被告夫婦が現在の肩書住所である同市東区高見台二丁目一八番地に転居した際、被告英二だけもとの堤団地公団住宅に残り、以来本件事故当時も右公団住宅で一人暮しをしていたこと、

被告隆は、被告英二が大学二年生の昭和五〇年五月頃、同被告の願いを容れ、同被告のため普通乗用自動車を購入してやることにし、熊本県菊池市在住の訴外富田耕吉の農協からの借入金を利用して、本件事故車両を購入し、一〇〇万円程度のその代金を昭和五一年から昭和五三年まで三年間、毎年一回の年賦払で償還したところ、右代金支払方法の関係で、本件事故車両は昭和五〇年五月の購入時右訴外富田耕吉の所有名義に登録され、本件事故発生当時も同訴外人の所有名義のままであつたこと、

そして、右車両の自賠責保険契約は、被告隆が同被告の名義で締結し、実際の保険料も負担し、購入後三年間程続けていた右車両についての任意保険契約も、同様に同被告が行つていたが(但し、本件事故は、右任意保険の期間が満了し、更新手続がなされないでいるうちに発生している。)、右車両を実際に使用していたのは、被告英二であつたこと(もつとも、被告英二は、昭和五一年七月一六日に運転免許を取得し、昭和五四年六月一八日に更新したと述べている。乙六、七号証)、

被告英二は、昭和五〇年一二月頃一人で堤団地公団住宅に残つたのち、昭和五五年三月大学卒業まで、本件事故車両をレジヤー用やアルバイトなどに使用し、同年六月株式会社電永社に就職後も、引き続き通勤用等に使用しており、学生時代アルバイトで得た金員のうちから、前記購入代金につき一万円とか二万円とかを被告隆に償還したこともあつたこと、

しかし、被告隆は、被告英二と同居していた頃、右車両を家族で利用していたほか、肩書住居に転居後、定収入があるわけではない被告英二の学資を負担し、右車両につき、少くとも、被告隆自身の名義で自賠責保険契約、任意保険契約を締結し、例えば熊本方面に前記年賦償還金の支払に出かけるときなどに右車両を利用しており、被告英二が昭和五五年六月下旬頃就職後も、本件事故発生日まで四ケ月程度に過ぎず、右車両の所有名義、保険契約名義等を改めていなかつたこと、

なお、被告英二は、本件事故発生二日後の昭和五五年一〇月二二日、福岡県西警察署司法警察員の取調べをうけた際、本件事故車両の保有者を父被告隆であると述べていること、

以上の各事実を認めることができるところ、右認定した事実によれば、本件事故当時被告英二が運転していた事故車両は、同被告の学生時代、被告隆が同被告のため、事実上代金を負担して買い与えたものであり、購入以来、主として被告英二が同被告の用途に供していたというべきであるけれども、登録上の所有名義人は、購入以来事故当時まで、訴外富田耕吉のままであつたうえ、自賠責保険及び任意保険契約とも、被告隆が同被告自身の名義で契約して、その保険料を負担し、同被告も時に同車両の運行による利便を得ることがあつたというのである。

従つて、被告隆は、右事故車両の購入時から被告英二の学生時代を通じ、同被告の保護者として、右車両の運行に支配を及ぼし得る立場にあり、且つ、運行を支配、制禦すべき責任があつたものであつて、右車両の運行供用者であつたと認めることができるところ、そのような事情は、昭和五五年三月被告英二が大学を卒業後も同様であり、ただ、同年六月被告英二が訴外株式会社電永社に就職後、右車両が同被告の通勤用等にも使用されるようになつたことや、同被告自身社会人として経済的に自立し始めた等の変化があるとはいえ、偶々本件事故発生当時まで日が浅く、右車両の登録名義、保険契約名義、その他基本的な事項に実質的な変更があつたとまでは認めることができない。

してみると、被告隆は、未だ右車両の運行供用者としての地位を離脱していたとはいえず、そうすれば、自賠法三条本文により、本件事故に起因する原告らの損害につき、賠償の責任があることになる。

次に、原告らの損害額について判断するに、成立に争いがない甲一号証ないし一二号証、同一四号証ないし三〇号証、同三三号証、乙三号証、原告靖子本人尋問の結果により成立を認める甲一三号証、同三一、三二号証、原告一信、同靖子各本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すると、次のように認めることができる。

すなわち、原告一信は、昭和一〇年八月一一日生まれ、本件事故当時四五歳の男性であり、原告靖子はその妻であること、原告一信は、本件事故により第六頸椎脱臼骨折、頸髄損傷、下半身完全麻痺、胸以下知覚喪失等の重傷を負い、事故当日の昭和五五年一〇月二〇日から翌二一日松永外科医院(福岡市城南区片江)、同月二一日、二二日高宮外科医院(同市同区樋井川)、同月二二日以降昭和五七年三月二七日まで五二二日間、飯塚市伊岐須の総合せき損センター整形外科に入院して、手術を含む治療をうけ、右総合せき損センターに入院中の昭和五六年七月頃には、体幹、両下肢の完全麻痺、両手指不全麻痺、車椅子での日常活動、膀胱、直腸障害等の後遺症状が固定し、引き続き同病院でリハビリテーシヨンや日常生活のための訓練をうけたこと、

(一)(1)  治療費

原告一信の治療費(診断書料等を含む)は、松永外科医院関係が一万七、六六六円(甲七号証)、高宮外科医院関係が二万九、六六一円(甲八号証)、総合せき損センター関係が一一八万八、三〇六円(甲九号証)、合計主張の一二三万五、六〇〇円以上であること、

同(2) 入院雑費

原告一信は、松永外科医院に二日、高宮外科医院に二日、総合せき損センターに五二二日、合計五二四日(二日間が重複している。)の入院期間を通じ、一日平均一、〇〇〇円を下らぬ雑費支出を余儀なくされたと認めるべく、その総額が五二万四、〇〇〇円であること、

同(3) 入院付添費

原告一信は、総合せき損センターに入院中、昭和五五年一一月一三日から同年一二月二五日まで四三日間、職業付添人への付添依頼を余儀なくされ、その手数料として、訴外博多看護婦家政婦紹介所に主張の合計三三万六、三〇〇円を僅かに上廻る支払をしたこと(甲一〇、一一号証)、

同(4) 休業損害

原告一信は、本件事故当時、建設用重機とダンプカー一、二台を所有して、土建業を自営しており、昭和五五年一月一日以降事故月の同年一〇月末日までの、所得税青色決算書での申告所得が、原告靖子の専従者給与分を含め四六八万六、三九四円(甲一三号証)、一日当り一万五、三六五円(4,686,394÷305=15.365<小数以下切捨、以下同じ>)であつて、同年一一月一日以降昭和五七年三月二七日まで五一二日間の治療期間中、右申告取得の割合による七八六万六、八八〇円(15,365×512=7,866,880)を下らぬ休業損害を被つたこと、

同(5) 後遺症による逸失利益

原告一信は、昭和五七年三月二七日の退院後も、前記後遺症のため労働能力の一〇〇パーセントを喪失し、前記土建業も廃業せざるを得ず、右退院時四六歳であるから、将来の就労可能年数六七歳まで二一年として、右期間を通じ、前記申告取得を年収に換算した年五六二万三、六七二円(4,686,394×1.2=5,623,672)の割合による全額のうべかりし利益を失つたものであり、その総額につきライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除した現価が七、二一〇万一、六六一円(5,623,672×128,211=72,101,661)であること、

同(6) 将来の付添料

原告一信は、体幹、両下腿の完全麻痺、膀胱、直腸障害、起立、歩行不能等の前記後遺症のため、終生付添介護が必要であり、右付添料につき後遺障害の内容、程度を考慮して月額一〇万円と認めるべく、昭和五七年三月退院時四六歳の同原告の平均余命が主張の三〇年を下らぬこと当裁判所に顕著であるから、ライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除し、右将来に亘る付添料総額の現価が主張の一、〇八七万二、〇〇〇円以上であること、

同(8) 家と車の改造費

原告一信は、下半身が完全に麻痺し、起立、歩行不能であり、日常生活の動作もすべて車椅子でなさねばならず、そのため住居の改造と車椅子用の車両の購入が必要であつたこと、そして、現実に、便所等の改造、立ち台、外廻りのスロープ等の新設のための資材料金、大工や左官の手間賃、或いは、シヤワー用のガス工事費用等(甲一四号証ないし一八号証)に主張の八八万二、〇〇〇円を下らぬ支出、また、手動用車両の購入費、改造費(甲一九、二〇号証)として、同様に主張の一三九万一、五〇〇円以上の支出を、それぞれ余儀なくされ、右合計が二二七万三、五〇〇円であること、

同(9) 排尿、排便に要する費用

原告一信は、前記のとおり膀胱、直腸障害があつて、健常人のような排尿、排便が不可能であり、現に、自己導尿による排尿、自己または妻の手による腹圧を加えての排便を行つていること、そして、右排尿用のビニール袋、カテーテル等及び膀胱炎、褥瘡(床ずれ)その他二次性障害予防のための消毒薬品など購入費用として、少くとも月額一万円(甲三三号証)、年額一二万円を必要とし、その前記平均余命まで三〇年間の総額につき、ライプニツツ方式により年五分の中間利息を控除した現価が主張の八九万三、六〇〇円以上であること、

以上のように認めることができ、右認定に反する証拠は存しない。

しかして、右(一)、(1)ないし(6)、及び同(8)、(9)の原告一信の損害合計は、九、六一〇万三、五四一円(1,235,600+524,000+336,300+7,866,880+72,101,661+10,872,000+2,273,500+893,600=96,103,541)であるところ、前記認定した本件事故発生時の状況によれば、被害者である原告一信の側にも、前方の安全確認が不十分であり、被告英二運転の加害車両の発見の遅れないし事前の状況把握ができなかつた点、及び同原告自身、左側路上に駐車々両があつたためと述べているものの、衝突当時道路の中央線あたりを進行していた点で、ある程度の落度を免れないといわなければならず、右同原告の過失を斟酌したうえ、右損害のうち被告らの賠償すべき額は、その三割を減じた六、七二七万二、四七八円(96,103,541×0.7=67,272,478)と認めるのが相当である。

ところで、(一)、(7)、原告一信が本件事故のため多大の肉体的、精神的苦痛を被つたことは明らかであり、被告らにその慰藉の責任があるのはいうまでもないほか、(二)、(1)、同原告の負傷の程度、後遺症の内容等を考慮すると、妻である原告靖子も、原告一信の生命を害されたに比肩すべき精神的苦痛を被つたものとして、民法七〇九条、七一一条に準拠し、固有の慰藉料を請求できると解せられ、右各慰藉料の額は、本件事故の態様、治療経過、負傷程度、後遺症の内容、前記原告一信自身の過失等一切の事情を総合したうえ、原告一信の傷害関係二〇〇万円、後遺症関係一、二〇〇万円、原告靖子二〇〇万円とそれぞれ認めるべく、また、(一)、(10)、二、(2)原告らの負担する弁護士費用のうち、本件訴訟の経緯、後記認容額等を考慮し、原告一信の関係で三〇〇万円、同靖子の関係で二〇万円を被告らに賠償させるべき通常損害として認めることとする。

以上により、原告一信の損害は、前記六、七二七万二、四七八円に慰藉料合計一、四〇〇万円、弁護士費用三〇〇万円、合計八、四二七万二、四七八円、原告靖子の損害が慰藉料二〇〇万円、弁護士費用二〇万円、合計二二〇万円であるが、(一)、(11)、原告一信が自賠責保険から二、一二〇万円、被告英二から一五〇万円(但し、内金一〇〇万円は被告隆が出捐し、五〇万円を被告英二が負担したものである。)、合計二、二七〇万円の支払をうけたことは、同原告の自認するところであるから、これを同原告の弁護士費用以外の損害に充当し、同原告の損害残額は、差引き六、一五七万二、四七八円、うち弁護士費用三〇〇万円である。

よつて、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告一信が六、一五七万二、四七八円及びこれに対する本件事故発生の翌日である昭和五五年一〇月二一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告靖子が二二〇万円及びこれに対する右同日以降完済に至るまで同割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるから、右部分の請求を認容すべく、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言、同免脱宣言につき同法一九六条を適用し、なお、原告一信の主文第四項の限度を超える仮執行宣言、並びに、被告英二の仮執行免脱宣言は、いずれも不相当と認め、付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中貞和)

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